名古屋市長の河村たかし氏が4月22日の記者会見の中で、「軍人として命を失っていくことは。祖国のために命を捨てるというのは、相当高度な道徳的行為であるということは間違いない。」と断言した(以下、「河村発言」とする)。
愛労連も断言する。それは違う!あらゆる人のいのちは尊く、「捨てたり・捧げたり」するものではない。
日本国憲法は、第13条で「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と幸福追求権を定め、第31条では、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と定めている。いのちの「私物化」は何人であろうが許されない。
表現の自由は尊重されるべきだ。しかし、基本的人権や生存権、幸福追求権を侵害する個人的な思想や歴史観の押しつけは、公平且つ平等に行政を執行する首長としての資質を逸しているといわざるを得ない。
見過ごせないのは「河村発言」のなかにみられる、「軍人として」、「祖国のため」、「命を捨てる」、「道徳的行為」、「間違いない」という独善的な単語への違和感だ。河村氏は、これまでもこうした言動や振る舞いを繰り返してきた。まさに平和主義を掲げる日本国憲法の理念とも、行政が掲げるダイバーシティ、SDGs等の理念とも相容れない「男性優位思想」、「優生思想」、「復古主義的思想」にみられる差別的な思想が見え隠れする。
わたしたち労働者は、平和で秩序ある社会の下でなければ、安心してくらし働きつづけることがかなわないことを、先の戦争から学んだ。ゆえに不戦を誓う日本国憲法の尊さを知っている。
残念ながら人に自然災害は止められない。しかし、河村氏が「残念ながら起こる」と表した戦争は、人の叡智で起こさず止められるものだ。日本国憲法はそのことを明確にしている。
「河村発言」は、為政者が過った価値観に基づく「道徳」を持ち出し、戦争で国のために死ぬことを礼賛し、いのちと人権を蹂躙するものである。まさに、民主主義への挑発であり、為政者の暴走だ。わたしたちは、市民と子どもたちの何ものにも代えがたいいのちと人権を否定する「河村発言」を、見過ごすわけにはいかない。
いうまでもなく、憲法は権力を持つ為政者の暴走を縛る役割を有している。さらに首長である河村氏には、憲法99条により、憲法を尊重することが義務づけられている。「河村発言」は明らかにそれに反するものだ。
河村氏自らが、「間違いない」とまで断言した発言であり、撤回したとしても許されるものでなく、公人としての言動に責任を持たなくてはならない。
愛労連は、河村たかし氏が直ちに市長を辞職することを強く求める。
2024年4月24日
愛労連第18回幹事会